見物人の頭のなか

映画と美術展などの感想。

単体テストに使えそうな機能

パソコンのセキュリティ機能をいじっていて見つけた機能。

単体テストやマニュアル作成に使えそう。便利ー知らなかったなぁ。

あと、リモートアシスタンスとか使えば、市販のソフトを使わなくても

リモート接続できるのかー。(今は安価で便利なソフトが色々あるので、本当に急ごしらえで使いたいときに使うのがいいんだろうけれど)

勉強になった。

 

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当事者意識を持てるだろうか?

久しぶりにブログを書く。皆さま、お元気でしょうか。

 

私は今、人生の岐路に立たされているのかもしれない。

安定を選ぶか、不安定だけど面白そうなほうを選ぶか。

自分は自分の人生の当事者になれるだろうか?

自分は当事者として責任感を持って仕事を遂行できるだろうか?

業務以外の仕事も自分事として積極的に関わっていけるだろうか?

 

当事者意識を持つというのはなかなか難しい。

特に大きな集団に属していると、私の代役というのは簡単に見つかるし、

境界線を引いて守っていればそれ以上仕事を増やさなくて済む。

さらに、当事者意識を持って何かを改革しようとしても、上手く根回しをしていないと「そんなことはするな。今までと同じやり方でやれ」と上司から圧をかけられることもある。

変えてやる、という心を持っていてもやり通せる人はほんのわずかだ。

 

転職を予定している会社で、自分は何ができるだろう。

壁にぶつかってもそれを上手く乗り越えられるだろうか。

それとも、不満を溜めて沈んでしまうことになるのだろうか。

 

神のみぞ知るなんて、ことを言って逃げないように、

さあ頑張ろう。

 

均質化する世界

フィギュアスケートを見た。こたつに入りながら画面に向かってがんばれーと応援する。

画面には白い衣装を見にまとった女の子。

音楽が始まる。


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美しいステップシーケンス。軽やかな笛の音が響く。草原を駆け抜ける風のような音。希望の春。そうか、春を音楽にするときっとこんな感じなのだろう。


現代はつくづく均質化した世界だなと思う。冬にこたつに入り暖房をつけながらぬくぬくと過ごす。太陽が沈んでも電気をつけて夜更かしをする。雨が降ったときは乾燥機に衣服を入れる。長野にいる選手を東京から応援する。


昔のエライ人はへこみを研究してなくしてくれた。そのおかげで平々凡々太である私も寒さに負けることなく、雨にも負けることなく普通に過ごせている。でも、昔の人ほどには春を迎える喜びを感じられていないのかもしれない。

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演技が終わった。画面に向かって拍手をする。やっぱフィギュアって良いなぁ。

 

コロナの影響によりシーズン初の演技を披露する選手も多かった。コロナが生んだ活動の自粛は選手たちの素晴らしい演技を生んだ。宇野くんは、終始にこにこと楽しそうで、大会が開催されて本当に良かったなと思う。見ているこちらまで楽しくなってくる。

 

メリハリのない世界に強制的に生まれた自粛というへこみ。今はちょっとしんどい時もある。暴れたいなぁと思う時もある。でも春になれば雪は解けるのだ。そしたら、思いっきり叫べばいい。今この時は普段意識しないへこみを味わってやるのだ、なんて考えつつ、明日もフィギュア見よっと。

画面越しに見る日常

今日は有吉とマツコの「かりそめ天国」を見た。

かりそめ天国はラジオのようで安心感がある。

 

あのゆるさ、投稿されるメールへの共感、生まれる謎の一体感。

 

 

テレビ番組を見ていると疲れることがよくある。

発せられるメッセージの量に、消費欲を促す番組構成に、予定調和な展開に。

 

だけど、かりそめ天国はそういった作りこみ要素が少ない。

ゆるーく聞き流せる。

 

画面の向こう側に日常を垣間見る。名もなき人たちとテレビという媒体を通してつながる。つながるという行為こそがメディアの真価なのではないかと思う。

 

一方向性のコミュニケーションには疲れてしまった。

町やネットの余白を広告で埋め尽くそうとする企業に疲れてしまった。

 

私はただ、日常を見て、肩の力を抜きたいだけなのだ。

だから、きっとYouTubeでも「どうでもいいニュース」とか「今日ヤバいやつに会った」とか、そんな何でもない日常を探してしまうのだろう。

 

 

 

 

 

感染症は世界史を動かすを読んで

 

 

<どういうことが書かれていたか>

 これまで感染症が人間社会にどういう爪痕を残してきたか、それに対して人間はどう立ち向かったのかを俯瞰した本。主にハンセン病、ペスト、梅毒、結核スペイン風邪新型インフルエンザに焦点を当てて書かれている。 

 

<何を学んだか>

・中世にハンセン病にかかったら助かる見込みがない

 中世ヨーロッパではハンセン病が慢性的に流行していたが、まだ科学的な治療法は確立していなかった。感染拡大を防ぐ唯一の方法は感染者を都市社会から追放し、隔離施設に追いやることだったのである。感染者はそこで絶望の淵に沈みながら、ただひたすら神による奇跡を待ち、死んでいったのだ。このころに立てられた教会には、そういった人々の切実さがあらわれているように思う。

 

感染症はその時代の社会構造や民衆の生活と密接にかかわっている。

 第三章の梅毒は良い例だと思う。1495年、時は大航海時代、梅毒は船に乗ってヨーロッパに運ばれた。その後ヨーロッパ各地で猛威を振るうこととなる。文化としては、芸術が花開いたルネサンス期である。当時、売春などは普通に行われていたようで、性に奔放だった。その理由の一つには、職人は親方になるまで妻帯不可だったことや聖職者にも情婦を買うことが許されていたことなどがあったという。感染症が時代を投影するいい例である。

 

・インフルエンザのワクチンができるまで

 ワクチンを毎年打つのは、1年で効果が切れるからだと思っていたが違っていた。ウイルスはRNAかDNAのどちらか一方しか持たないため、宿主の細胞の機能を借用して自身を複製する。さらに、インフルエンザウイルスの遺伝子はRNAで、遺伝子の読み違いなどに対する修復機構を持たない。そのため、遺伝子変異が起こりやすいのだ。その変異に対応するため、人々はインフルエンザウイルス流行状況の定点観測しデータや、ウイルスの遺伝子情報の解析データ、各国の疫学情報などを使い、来年の流行予測をたてるという。ワクチンというのは氷山の一角に過ぎなくて、そこには多くの人々が関わっているのだ。知らなかった。いつも同じものを打たれているのだと思っていた。

 

<浮かんだ疑問>

新型コロナウイルスが人間への感染を繰り返す中で、さらに病原性の強いものが表れたりするのだろうか?

 

<さらに知りたい分野>

・時代ごとに感染症を俯瞰したものも読みたい。(時代が飛び飛びで少しわかりづらかったので)

 

<次読みたい本(参考図書から)>

産業革命と民衆

結核という文化

 

 読んでいる間、結構つらかったな。特に、第一章、第二章。苦しんでいる人を追放することで、他の集団を守るという方法しかなかったというのが読んでいてつらかった。それに、疫病の流行は目に見えないから余計に人の不安を掻き立てる様で、それに伴って起こる人災の凄惨さは疫病と同じくらいひどい(魔女狩りユダヤ人狩りなど)。

 新型インフルエンザの対策の章では、まさに今起きていることが予測されていて、すごいなと思った。現在日本は人口の0.005%くらいの感染者数なので、このまま抑えきってほしい。ちなみに、フランスやアメリカは0.05%くらいだった。公衆衛生に関する正確な知識を共有出来ていることが大きいのかな。

 読書は想像力の幅を少し広げてくれる。良書でした。

水の歴史を読んで

 

水の歴史 (「食」の図書館)

水の歴史 (「食」の図書館)

 

<学んだこと>

・海水を飲料水を変えるのは技術的に大変だった。

海水を飲料水に変える方法

海にコップを浮かべるだけでよい。海水の温度が露点より低ければ、コップの中に水分が結露する。

産業革命時代のロンドンはテムズ川が大変汚れていたという。それは、下水の整備が甘かったという理由のほかに、その時代の動力源にも原因があった。当時の産業技術の発展は水力や蒸気を利用していた。そのため、工場は水源に近い土地が選ばれ、毎日のように産業廃棄物が川へと排出されていたのだ。工場付近の水は汚染され、ゴミがたまって流れが滞った。さらに、工場を中心として人口が急増したことで、大量の排泄物も川に流されるようになった。そうして瞬く間に汚染されていったのである。

・新鮮な水の運搬方法について

大航海時代、船乗りたちはどうやって飲み水を入手し、新鮮に保っていたのか?

⇒18世紀、ミネラルウォーターを瓶に詰めて売るものが表れ始める。飲料水ビジネスの誕生。

トニックウォーターは、キナの樹皮の成分であるキニーネとレモンを加えたもので、化学者が考案した。キニーネは、抗マラリア薬として効果があったのだ。ジントニックはインド発祥。ジンがトニックの苦みを和らげると考えられていた。なぜ、インド発祥かというと、南アジアやアフリカの熱帯地方ではマラリアが風土病だったからだ。

 

<感想>

結構前に読んだので、ちょっと忘れてしまったのだが、水と人間とのかかわりを概観した良書だった。主に飲料水としての水に注目している。安全な水がどこでも手に入るようになったのは最近で、それまでは困難の連続だった。特に産業革命以降に水が商品化された背景を知れたのはよかった。軽く読めるのでお勧めです。

(本の感想は読み終わってすぐ書いた方がいいな…)

茶の世界史-緑茶の文化と紅茶の社会-を読んで

 

茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界 (中公新書)
 

 

 

<どういうことが書かれていたか>

 第一部では、紅茶という切り口でヨーロッパの歴史を概観している。

 

 初めて茶がヨーロッパ史に現れたのは、16世紀のオランダの記録だった。その後、日本の鎖国に伴い、中国の茶がヨーロッパを席巻することとなる。17世紀にオランダが輸入し、そこからフランスやイギリスなどに伝わったといわれる。オランダが貿易王の座を失脚した後は、イギリスが主に中国から茶を輸入した。イギリスは飲み物がエールくらいしかなく、他の国よりも茶が流行。最初は非常に高価だったため上流者階級の間でたしなわれていたが、産業革命に伴い労働者階級の賃金が上昇し、茶が大衆化した。

 茶の需要は年々増える一方、中国は貿易に対して消極的だった。なぜなら、中国への対価として支払われていたのはアヘン(この辺はいろいろややこしい)だったからである。アヘンの流入は退廃を生み、これに危機感を募らせた中国は取り締まりを強化した。それを理由に1840年、イギリスはアヘン戦争をふっかけ、南京条約を締結。無理やり複数の港を開港させる。かたやインドでは1823年、イギリス人がアッサム茶を発見、栽培を開始。イギリスに輸出されるようになる。

 第二部では、日本の茶の世界進出とその失敗が書かれている。

 日本茶はイギリス、オーストラリア、アメリカ、ロシア、カナダへと輸出を試みたがインド紅茶や中国茶に敗北。世界は、すでに資本主義経済の真っただ中だったのだ。敗因は大きく分けて二つある。一つ目はそれまで鎖国しており、圧倒的に諸外国のマーケット情報や生活文化に関する情報が少なかったこと。もう一つは、インドの大規模経営による生産性の向上や健康へのメリットなど物質的な側面を巧みに押し出したマーケティングに勝てなかったことだと著者は分析する。日本茶は、茶の精神的な文化を押し出したが、物質社会である西欧諸国には響かなかった。

 

 

<何を学んだか>

 ・紅茶は昔からイギリスで飲まれていたと思っていたので、中国茶が始まりだったと知り驚いた。ますおさんもびっくり。「tea」という読み方は、当時オランダが取引していた福建省の方言が語源らしい。

 ・茶と砂糖の歴史が重い。ほんとに暗くなる。特に労働力確保のためにアフリカから奴隷を連れてきたり(砂糖)、近隣の町からの出稼ぎ民を過酷な環境で働かせたり(紅茶)。支配者の歴史だと感じた。機械への過渡期の過程で、どれだけの人間が命をすり減らしたんだろう。

 ・日本の素晴らしさは精神文化の豊かさにあるのだと思う。19-20世紀は物質社会にのまれ相手にされなかったが、今は精神的な文化に注目されつつある。

 ・自分は経済史にあまり興味がないのだなと感じた。知らないことを知れたという意味では楽しい読書体験だったが、どちらかという民衆の生活や風俗…なんだろう具体的なエピソードが知りたい。

 ・日本茶が輸入し始めたころ、西欧諸国では茶にミルクや砂糖を入れて飲むのが一般的だった。だから、彼らは緑茶にもミルクや砂糖を入れて飲んでいたのだという。そりゃはやらんわ…。まずそうだもの…。

 

<浮かんだ疑問>

・なぜ台湾ではお茶に砂糖を入れて飲むんだろう?紅茶の飲み方が関係している?

・アヘンを栽培していたインドは、アヘン漬けにならなかったのだろうか…。

・イギリスやフランスなどにおいて、日本における渋いけどうまいみたいな食べ物ってあるのだろうか。渋いものはうけないのかな。

 

<さらに知りたい分野>

・経済史ではなく、もっと民衆の生活が具体的に描かれた本 

 

<次読む本(推薦図書から)>

 ・なし、興味深かったが再読はない