見物人の頭のなか

映画と美術展などの感想。

私の好きなブログから/プライドについて


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上記は、発声練習というブログ。

ある大学の助教?の方が運営しているらしく、文章が明晰で読みやすい。大学時代から購読し始めて、何度も勇気をもらった。

 

本日引用したのは、学生の「どうすればプライドを低くできるか」というという質問に対するこの方の意見である。

 

「心の中にいる優秀な自分と現在の自分の差に愕然としてしまう」状態は誰しも経験するものである(少なくとも私はある)。

 

このプライドが高い状態を発声練習では、「根拠のない自信を持っている」状態といっている。これは未来の自分に対する期待と言い換えてもいいと思う。

対して、現実はそう甘くない。努力も何もしていないぐうたらな自分は現に存在しているのである。ここに開きを感じる、と。

こう書いていると、心は、未来を先取りしているだけのように見える。もしくは、見たい自分だけを見るようにしているのかしら。

 

引用ブログの本題のプライドを下げるにはという問いに対しては明確な答えを出しておられるので自分は違う問題を考えてみたい。

 

なぜ、自分の弱いところも冷静に把握できているのに自分は優秀だと心では考えるのだろう。発声練習さんでは、「根拠のない」といっているが本当にそうだろうか。

私は、それは何かしら、過去に成功体験があり(例えば受験には成功しているなど)そこから生まれたものなのではないかと思う。ただ、その成功体験が単発で、その栄光以降はパッとした成功体験を得られていないことがこの「やればできる、やらないだけ」の状態を生んでいるのじゃないかと思う。

 

まぁ言ってしまえば成功した自分の延長線上にいるのが心の中に存在する理想の自分で、

そこから酒あり、女ありと誘惑に溺れ大学生活をうぇい!しすぎた末路が今の自分なのでしょう。

脳がいかに見たいものだけを見ようとしているかが表れているように思います。

 

ただ、私は心が楽観的でよかったなと思うのです。

私の脳まで、現在の自分を攻撃するようになったら、自分の味方はいなくなっちゃうでしょう。だから、少しプライドが高くてもいいと思うのです。少しずつ心が信じてくれている理想の自分に近づけるよう、私も努力していきたいと思います。

 

以上、発声練習のブログを見て考えたことでした。